Ⅲ. Someone's closed memories
積み重なった記憶が人の姿を形作る。
身体に秘められた人格が記憶を定義する。
記憶と人格は分ち難い。
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〈1〉
世界が揺れる。地面ではなく空間が軋みをあげていた。もはや手遅れ、どうあってもこの次元世界は消滅する。
破滅の雷雨が轟く中で、赤黒く染まった白衣に身を包む一人の女性が佇んでいた。
辺りには躯が転がっていた。自分たちの存在意義を奪われると思い込んだ愚か者共と、ただ騒乱に巻き込まれた哀れな者たち。犠牲者の中には、彼女の顔見知りもたくさんいた。すでに生き残りは別の世界に退避している。彼女が超常の力を使って逃がした。だから、この崩壊した研究施設を含めて世界に生者はただ一人。
彼女自身の旅路は返り血で染まった孤独に始まり、血だまりの中の孤独で終わろうとしていた。
眼前には蒼色の輝き。今は滅びた、どこかの誰か達の遺産。「願いを叶える」と言い伝えられたこれは、実際には願望器としての機能を有していない。あるのは、莫大な魔力を基に生物の意志に感応してエネルギーと指向性を与える機能と、虚数時空にアクセスする能力だけ。特に前者の機能が、まるで不完全な状態で願いを叶えるように見えるから願望器と呼ばれるが、後者を表した次元干渉結晶の方が呼び名として適切だった。
愚者のせいで暴走していたこの宝石を、彼女は完全に制御している。しかし、すでに基盤を破壊された世界の終末を止める手段はない。虚数時空にアクセスするのに必要な本人の魔力も尽きていた。自らが作り出し、自分の記憶を封じた碧のデバイスを時空の向こうに飛ばすのに使ってしまったから。
少女自身の旅路はここで終わる。けれど、その続きは彼女ではない“彼女”が引き継いでくれる。だから、命が尽きることに安心こそすれ恐れはなかった。死とは解放と安寧でもある。
しかし、心残りがないわけではない。
「約束、守れなかったなぁ……」
植えつけられ押し潰し合うことで積み上げられてきた彼女の人格と記憶は、ここに至って統合を果たした。だから、総てを思い出せる。
自分を虐げ傷つけた肉親を手に掛けたこと。対決した来訪者に敗れ、仮初の人格を植え付けられたこと。意に沿わない命令に従ってしまったがために贖罪の意識に苛まれる人のこと。境遇をあんまりだと憤り涙して、身を削り奔走してくれた友人とその融合騎のこと。そして、「これから友達になっていけばいい」という言葉に瞳を輝かせた、同じ世界出身の少女のこと。
孤独で挟まれ、決して穏やかとは言えない人生だったが、その中にも輝くものがたくさんあった。そのものたちに、もう二度と会うことも言葉を伝えることもできない。それだけがたまらなく悲しかった。
「ごめんね……そしてありがとう」
瞳に悲しみと感謝を滲ませて嘆息する。
次の瞬間、彼女、小鳥遊悠里ごと世界が砕けた。
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「クシュッ……!」
「どうしたん悠里、風邪でも引いたんか?」
「いや、そんなはずないんだけど……誰か噂でもしてるのかな……」
何となくむずがゆさを覚えてくしゃみをする。別に熱っぽくはないから、風邪ではないと思うんだが……。まさか、本当に噂されてるんじゃないだろうな。
「悠里、人気ありそうやもんなぁ」とからかうはやてに肩をすくめて、きんぴらごぼうを口に放り込んだ。いつもだったら顔見知りの看護師さんや先生と昼ご飯を食べることが多かったが、今日は検診に来たはやてとご飯を食べている。
入院生活もかれこれ一週間が過ぎる。周りに支えられて、なんとか不慣れな少女生活を送っていた。
いや、マジでこっちは少女初心者なわけよ。うっかり男性用トイレに入って大恥をかいたりとか、この少女の大事な部分をどうしても意識しなきゃいけなくなって頭を抱えたりとかするわけで。先代も半分気絶していたという身体のアルコール洗浄をしてもらったときも、正直身体拭くだけだろと思って油断してたら、徹底的に、びっくりするぐらい隅々までやられて、やっぱり半分気絶していたり……。女の子の身体ってあんな風になってるんだな。頑張ってお風呂入るんでもう勘弁してください。
異様に疲れる一週間だった。おまけに、なんか大事なものを色々失ってしまった感すらある。別に嫌だったわけじゃないし、みんな優しいからむしろ助かってはいるんだけどさぁ。
そんな中で気兼ねなく話せる友達には、心情的にかなり助けられたのは事実だった。
「そういえば、悠里はもうじき退院やろ? 寂しなるなぁ」
う、そんな泣き笑いみたいな顔しないでくれ。
「落ち着いたら、はやての家に遊びに行くよ」
「ほんまに!? 絶対や!」
一転、花が咲いたような笑顔を見せてくれる。うーん、守りたい、この笑顔。キリっとした不屈フェイスもいいが、やっぱり子どもは感情表現豊かでなんぼよ。
「うち、海鳴中央の方なんやけど」
「えっと……どの辺……?」
ち、地理がわからん……。当然と言えば当然だけど、入院以来、病院から一歩も外に出ていない。こんな時すぐ調べられるスマホがいかに便利だったか痛感させられる。グーグル先生、助けてくれ。
「駅から海の方に十分くらいのところや」
「わたし、記憶なくて地理がわからないんだけど……あれ、記憶喪失だって話した……よね……?」
「えっ……」
「えっ?」
あっけにとられた顔。ま、まさかしてなかったか!? すさまじく気まずい空気が流れる。
ええい、ここは勢いだ!
「気づいたらここに運び込まれてて、その前の記憶がないの。はやてに会う二、三日くらい前かな」
「そやったんか……」
またしてもはやての表情が曇りかかる。気遣ってくれるのは嬉しいんだが、こっちは気にしてないのに、と思ってしまう。ともかく、完全に落ち込んでしまう前に、続きを畳みかけた。
「だからさ、はやてに海鳴のこと、この街のこと、たくさん教えて欲しい」
「そ、そか! 任せて!」
車いすを揺らす勢いではやてが頷く。うまく場をまとめられたようだ。よ、よかった~……。
その後もはやてが帰宅するまで会話は進んだ。ころころと表情を変えられるはやてが、少しだけ、羨ましいと思った。
※ ※ ※
遂に今日で退院である。と言っても、カウンセリングの為に週一で通院はしないとだが。もうこの病室に来ることもないだろう。
小鳥遊悠里になった直後の二週間近くを過ごした場所だ。愛着も湧くというものである。恥ずかしい話、不安を感じて夜中に泣いたり汗だくで飛び起きたりしてセイクレッドに慰められた場所でもあるんだけど……。ま、その辺は忘れよう。
「お世話になりました」
別にいらないとは思うけど、何となくお辞儀する。
行ってきます。そう心の中で呟いて、病室の扉を閉めた。
病院からバスに乗り、一度海鳴駅南口で降りた後、北口で山間部方面のバスに乗り換える。揺られること約四十五分、最寄りの停留所で降りてからさらに五分ほど歩いたところに、引き取り先の児童養護施設があった。別にタクシーで来ても良かったんだが、街の雰囲気とか知りたかったからな。
生垣の間からちらりと十字架が見える。ふむ、ミッション系の施設か。通っていた大学もキリスト教にゆかりがあるところだったから、教徒というわけでもないのに妙な縁があるものだ。そういえば、悠里になるにあたってテンプレじみた神様は見なかったな。ま、それもそうか。
どうせ俺も、小鳥遊悠里によって呼び出されたセイクレッドに作られた仮想人格とか、そんなところだろう。神様なんていなかったんや。その意味では、セイクレッドが創造主と言っていいのかもな。
『
「いや、お前のことを少しは敬おうかと思ってさ」
『
セイクレッドが困惑したように瞬く。……うーん、緊張でテンパってるのかも、俺。
ちょっと襟首を整えて呼び鈴を鳴らす。迎えてくれたのは、齢五十ほど男性と、初老の修道女さんだった。
「今日からお世話になります、小鳥遊悠里です。よろしくお願いします」
「あらまぁ、礼儀正しいお嬢さんだこと」
笑顔で応じる修道女さんのリアクションを見て、カートゥーンアニメに出てくる黄色い小鳥の飼い主を思い出したのは内緒だ。
あんまり畏まりすぎると小学生っぽくなくて違和感があるかもしれないと思ったけど、こういう礼儀はしっかりしておきたい。第一印象としては、悪くないと思う。
挨拶もそこそこに、施設の案内をしてもらう。規模としては十名弱の小さなところだから、そんなに時間はかからなかった。最後に子ども達との対面だ。
「みなさん待っていますよ」
「はい。お願いします」
比較的大きな部屋に入ると、クラッカーを構えた年下の子ども達が待ち構えていた。ぱん、ぱん、ぱんと軽い炸裂音が響く。
「せーのっ」
「悠里おねえちゃん、いらっしゃい!」
共鳴する幼子たちの声。凄い圧だ。ちょっと圧倒されてしまった。
皆、九歳児な俺より年下のように見える。最初に号令をかけた一番年上らしい女の子にしても、俺と同じか一つ下くらいだ。
……それにしても、悠里『お姉ちゃん』か。悪くないなぁ。
甘美な響きに、若干危険な笑みが止められない。それと同時に、女性扱いされること自体には何とも思わなくなっていることに気づいて、思いの他自分の適応力が高いことに驚いた。
幸い、純真無垢な子ども達には、俺の邪な感情やら感傷やらは気づかれなかったようだ。むしろ、ちょっとほっとした雰囲気が流れていた。
きっと、子ども達なりに頑張って準備してきたんだろう。もしかすると、すでに出来上がっているコミュニティーに新しい人が来ることに対して、不安もあったかもしれない。それでもこうやって歓迎してくれるのだ。なんてできた子たちなんだと、お兄さん、もといお姉さん、ホロリとしてしまう。
「初めまして。みんなのお姉さんになる小鳥遊悠里です。よろしくね」
できる限り一人一人に目を合わせて、ゆっくり応える。駆け寄ってくる子ども達を見て、掴みはバッチリと、心の中でガッツポーズをした。
※ ※ ※
目の前には、若干年季の入った引き戸。向こうからは、若い女の先生の声と、子ども達の息遣い。白と黒の上質な制服に身を包んだ俺は先生から紹介されるのを廊下で待っていた。
やはりというかなんというか、結局聖祥大付属小に通うことになった。通常、聖祥は学期途中からの編入を受け付けていないらしいんだけど、院長先生が理事だとかで、特例で入れるらしい。ありがたいことだ。
それにしても、小学校に登校とか何年ぶりだろう。ひぃ、ふぅ、みぃ……や、約十年ぶり!? うへぇ……、逆に緊張してしまう。待って待って、転校イベントってこんなに緊張するもんだっけ!? 日を追うごとに新しい出来事に対する耐性が下がってきている気がする。精神は身体に引っ張られるということか。
つらつらと考え込んでいると、呼びかけてくる声。意を決して引き戸を開き、中に足を踏み入れる。集まる視線と視線と視線。うひぃ。
「今日から皆さんの新しいお友達になる小鳥遊悠里ちゃんです。じゃ、小鳥遊さん」
「はい。はじめまして。ご紹介にあずかりました、小鳥遊悠里です。色々とご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願い致します」
お辞儀をして、顔をあげて、ゆっくり教室を見渡す。そして、彼女が居た。
高町なのは。不屈のエースオブエース。正真正銘の主人公。
こちらに向けてくる「私、わくわくしてますッ!」と言わんばかりにキラキラと輝かせた瞳に、何故か既視感を覚えて、首を傾げた。すると、俺の仕草に気づいたなのはも首を傾げる。時間遡行する魔法少女の気持ちが少しわかった気がするよ。最も、俺はなのはを魔法少女にしたくないどころか、なってもらわないと困るわけだが。やってきたのが
所謂朝の会が終わるや否や、少年少女に囲まれる。転校イベント特有の質問攻めである。朝っぱらから元気だね君たち……。低血糖気味の俺としては、羨ましい限りだ。
思いの外捌くことが出来ずに困っていると、救いの声が。田村ゆかりボイスが混ざっているってことは、仲良し三人娘か。
「ちょっと、みんなそんなに一杯質問したら駄目だよ」
「小鳥遊さんも誰に答えていいのか困ってるよ」
「助けてくれてありがとう。ええっと……」
名前知ってるけど、自己紹介されたわけじゃないし、知らない風を装う。それに、古事記を持ち出すまでもなく、挨拶は大事だ。
「アリサ・バニングスよ」
「高町なのはです。よろしくね、悠里ちゃん!」
「月村すずかです」
それぞれ特徴的な笑みで名乗ってくれる。みんな可愛いねぇ。
「改めて、小鳥遊悠里です」
若干の罪悪感と共に、ぺこりとお辞儀を返した。
※ ※ ※
転入からしばらくした頃。ここしばらくは、時折ジュエルシードを探しているなのはらしき魔力を感じつつ、実に平穏に暮らしていた。
現状、特になのはの手助けをするようなことはしていない。いつか来るライバルとの対決に向けて、彼女には経験を積んでいてもらわないといけない。前も言ったが、別に今出張る必要はない。
ん、今俺が何をしてるのかって? そりゃあ、学校の宿題ですよ。中身大学生といったって、勉強は学生の本分だ。おろそかにしてはいけない。それに、今からしっかり積み重ねていけば、将来東大辺りに入れるかもしれん。決してこの間のテストで凡ミスして百点取れなかったのが悔しかったとかではないぞ。
「あー……平和だなぁ」
良い事良い事。このまま何事もなくあってほしいけどな。そうもいかないのが世の中の嫌なところだ。
さて、宿題もあらかた終わったし、テレビでも見ようかな。そう思って立ち上がったけど、すぐに動きを止めることになった。
最初に感じたのは、脳に何かが直接響く不快感。次に感じたのは、地震のような衝撃。
「地震!?」
いや、これは……。予感がして、屋上に上がる。
俺が暮らしている児童養護施設は、山の手の比較的標高が高いところに立地している。だから建物自体が低くても、ある程度街が見通せるようになっている。
俺の目に飛び込んできたのは、街を覆いつくさんばかりに生い茂る巨大な樹だった。
「アレが、ジュエルシード……」
思わずリンカーコアがある胸の辺りをを抑える。
あの大樹は確か、なのはの親御さんが主催するサッカーチームの少年が思った「彼女と一緒にいたい」という願いに呼応して発現したんだったか。そして、なのはが「責任をもって戦う」という小学三年生らしからぬ決心を抱くきっかけになった。
風に乗って、そこかしこからサイレンやら火災やらの音が聞こえてくる。アニメだとあまり被害状況がわからなったが、この分だと死傷者が出ていても不思議じゃない。
何故かひどく苛立つ。脂汗が垂れて胸がざわめく。自分の中の何かがあの大樹の核と引き合っている。そして、その『何か』に心当たりがあった。
「セイクレッド、俺の中のジュエルシードはどうなってる……?」
『!?
「いいから答えろ!」
黙っていた秘密を突かれて動揺をあらわにするセイクレッドを怒鳴りつける。早く報告を寄越せ。
『
「ふん……」
思いっきり深呼吸する。胸に手を当てて、ジュエルシードの制御を試みる。俺なら、小鳥遊悠里なら、それができる。
封印状態であれば、暴走しているときに比べて制御の難易度は格段に下がる。胸のざわめきが引いて凪いでいく。やっと落ち着いたか。
街の方を見れば、高いビルから桜色の光が伸びて大樹に突き刺さった。あれがディバインバスターか。遠くからでも、込められた魔力が桁違いに高いことが感じ取れる。できたら、喰らいたくないものだ。しかもあれでまだ未完成だというのだから恐ろしい。
大樹がみるみるうちにしぼんでいくのを見届けて、俺は施設の中に戻った。せっかくの休みだというのに、不愉快な気分を解消できないまま過ごす羽目になった。
※ ※ ※
「めかりるうぃーしゅ、ころーんだーりぃー」
『
「そう?」
大樹事件から約一週間。入院中に交わしたはやてとの約束を果たすべく、俺はお土産のケーキを片手に八神邸に向かっていた。
セイクレッドに指摘された通り、年甲斐もなく、いや名実ともに小学生なんだけどさ、ちょっと浮かれていた。なんでこんなにワクワクするんだろう。考えてみれば、今も昔も友達の家に「お泊りする」なんてしたことがない。だからか?
「そうだ、はやての家は管理局のギル・グレアム提督に監視されているかもしれん。マナーモード的な奴になっておいてね」
『…….
一瞬もの言いたげな沈黙を挟んだセイクレッドが応じる。ギル・グレアム提督が闇の書がいまどこにあるのか認識していたことを考えると、リーゼ姉妹が八神邸を監視しているか、何らかの魔導的センサーが仕掛けられている可能性は高い。今、俺が魔導師であることがバレるのは避けたい。
『
「ん?」
静かにしていてくれといった矢先だというのに、なんだ?
『
「あぁ、そのこと。……まぁ、白状すれば、色々知ってるよ。でも、お前だってわたしに隠し事してるんじゃない?」
『……』
是か。こいつデバイスのくせに、困ったら黙り込む癖あるな。それとも、そういう風に作られているのか。
「お互い様よ。それに……」
『
少し目を瞑ってイメージしてみる。辿る未来と、そこでわたしがどう在るべきか。確かに俺はある程度未来を知っている。けど、それを無闇矢鱈と言いふらしたりするもんじゃないだろ。だいたいにして、俺だって本当にわからんことがいっぱいあるし。
「そのうちわかるわ。何もかもね」
『……』
必要なものはしかるべき時に、ね。
※ ※ ※
いっそ歌詞を書いてなのはに歌ってもらおうかな、などと邪なことを考えながら歩いていると、遂に目的の家が見えてきた。
立派な一軒家だ。確かにこれなら、障害を抱えた少女が一人で住んでいるなんて考えもつかないよな。ギル・グレアムめ……。
思わず、はやてを孤独に追いやるグレアム提督に対する苛立ちが顔に出そうになる。いかんいかん、友達に会いに行く顔ではないな。
なんかこの顔、表情筋がほぐれていないというか、表情が思うように現れなかったりする。この間も、ぼんやりしてたらなのはに「悠里ちゃん、なんか怒ってる?」って怯えられちゃったし。地味にショックだった……。
なんとなく、歩きながら両手で顔をムニムニしてみる。我ながら、柔らかいほっぺだ。維持するの、大変だろうなぁ。
ふと、視線を感じて顔をあげる。そこには、窓からこちらを見る鳶色の眼。八神はやてが、2階から間抜け面をさらしている俺を凝視していた。
「……」
「あー、悠里、何してん?」
「えと、その、変顔の練習? アハハハハ……」
『……』
はっっっっっず!!! あっ、目を逸らさないではやて……。
「うん、まぁ、えぇと思うよ……。今玄関開けるからな、ちょっと待ってぇ」
「ん……」
苦笑いしたはやてが引っ込む。今俺の顔真っ赤だろうな……。空が青いぜ。
玄関前でしばらく佇んでいると、解錠の音が響き、笑顔のはやてが現れた。
「いらっしゃいや、悠里」
「ん。お邪魔します」
こうして俺は、初めて友達の家の敷居を跨いだのである。
※ ※ ※
ずらりと食卓に並んだ料理の数々を前にして、自炊の経験がほとんどない俺はただただ圧倒されていた。
「凄い……」
「いつもは一人やからこんなに作らないんやけどな。今日は張り切っちゃったわ」
言葉少なく感嘆すると八神はやてが笑いかける。俺がしたことといえば食材の運搬と配膳くらいで、調理のほとんどははやてが一人でこなしていた。いや、一応手伝おうとはしたんだけどさ、台所への出入り禁止を家主から言い渡されちゃってね。
「さ、冷めんうちに食べてしまおう」
「そうだね。じゃあ、いただきます」
手を合わせて感謝を捧げてから箸を手に取る。まずは白米。たっぷり時間をかけて吸水したお米は一粒一粒がふっくらとしていて、噛めば噛むほど本来の味や甘みを引き出してくれる。次に手をつけた煮っ転がしは中まで味が染みていながら、煮崩れせずに柔らかい食感が残っていた。メインディッシュのアジの焼き加減も適切だ。それでいて色とりどりの野菜でまとめられたサラダで彩りと栄養バランスを考えられていると来れば、文句の付けようも無い素晴らしい夕餉だ。
「ど、どうや……?」
少し不安そうなはやてが様子を伺ってくる。
「美味しい……すごく美味しいよ」
「そか! 良かった〜……。人様にお出しするんは初めてやから、緊張したわ」
尊敬に値する腕前だ。まぁ、若干9歳のはやてがここまで手練れてしまった経緯を考えると複雑だけどな。とはいっても、自信を持って「私はこれができます」っていうのがあるのはいいことだ。
今度、料理教えてもらおうかなぁ。
「せや。悠里、ごはん食べ終わったらお風呂一緒にはいらへん?」
「風呂? あぁ、いいよ」
「あ、でも、わたしこんな身体やから大変かも……」
脚を理由にわがままを引っ込めようとする。もう、子どもが遠慮なんてするんじゃありません。
「大丈夫大丈夫。わたし、こう見えて力強いんだよ?」
魔法使いだからね。
そういうとはやては笑ってくれた。
そんなこんなで脱衣所にやってきました。自分の服を脱ぎつつ、はやても脱がしてやる。幼女の裸なんて、自分や妹たちで見慣れてるからな。今更なんとも思わないよ。
普段の入浴はどうしているのかと聞くと、通いのヘルパーさんに介助してもらっているらしい。
セイクレッドに身体強化の魔法をかけてもらってはやてを抱きかかえる。体内を循環する術式だから、よほどのことがなければ外部から探知することは不可能だ。
浴槽にはすでにお湯が張られていて、中は温かい。頭と身体を洗って湯船につかる。
「なんか手慣れてるなぁ。お母さんみたいやわ」
「あはは、そこはお姉ちゃんって言って欲しかったな。妹たちの世話はわたしがしてるからね。もっと頼ってくれてもいいんだよ?」
新入りとはいえ年長だからな。みんなで支え合って生活しています。
「そうだ、今度はやてがうちにおいでよ。きっと妹たちも喜ぶし」
色んな人と関わってこそ、見える世界は拓けてくる。こんな寒々しいところで孤独に生きるもんじゃない。自分自身の意思でそうしようと決めたのならそれもいいかもしれないが、望んだわけでもないのに孤独なまま、そんなことがまかり通ってたまるか。幼い今なら、尚のことだ。
「ありがとう。そういえば、悠里の家はどこにあるん?」
「ああ、山手の児童養護施設。ここから少しあるから、院長先生に言って車出してもらうよ」
「あ……」
はやてがハッとしたような顔をした後、目を伏せる。というか、前にもあったなこのシチュエーション。自分が余計なことを聞いて傷つけたんじゃいかって心配してるんだろう。気に病まないように勤めて気軽に言ったつもりだったんだけど、もうちょっと言うタイミングを考えるべきだったか。俺が施設の子だってまだ言ってなかったからな。言う機会がなかったし。
「わたし、なんも知らんで……ごめ……」
「おっと、謝るのはナシだよ」
別に謝られるようなことでもない。よくわからないという顔をするはやての両肩に優しく触れて、しっかりとその瞳を見据える。
「わたしたち、まだ会ってからそんなに経ってないじゃない。わたしの事情を知らないのは当然だよ。まだ言えてないことがいっぱいあるし。だからこそ、はやてがわたしのことを知ろうとしてくれるのは嬉しい。わたしのことを知ってほしい」
これは本心だ。流石に原作がどうのという話はできないけども。親密さというのは、「どれだけ相手のことをを知っているか」と言い換えることができると思う。もちろん知るだけじゃダメだが、第一歩であることはまちがいあるまい。
わたしは、はやてと仲良くなりたい。
「でも……」
む、手強いな。……ここは一つ、身銭を切ることにしよう。
「じゃあ一つ、わたしのことを教えてあげよう」
再びはやてが俺の方を向く。
「わたし魔法使いだから、ほんのちょっとだけ、未来のことを垣間見ることができる。はやてはこれから、たくさん大変な思いをする。でも、必ずそれを乗り越えられる。そして、友達と仲間と家族を手に入れることができる」
「家族?」
「そう。4人、いや、5人だね。友達や仲間は、もっといっぱいできるよ」
未来を断言する。もしそうならないのなら、俺が死力を尽くして現実を変える。そのために魔法はあるんだから。
「もしわたしの予知が間違っていたとしても、わたしははやての味方であり続ける。絶対に」
まぁ、風呂場で素っ裸でいうセリフではないな。内心でこっそり苦笑する。
「なんかこそばゆいなぁ……。そこまで言われたら、信じるしかないやんか」
はやてははにかんで、小指を突き出してくる。
「なら、約束や。ずっと友達でいてくれるって」
「うん。必ず」
指と指を絡める。
すべてを超える絶対の誓いはここに立てられた。あとは、まぁ、何とかするさ。
※ ※ ※
何かに呼びかけられたような気がして、八神はやては目を覚ました。
薄目を開けると、カーテンの隙間から月明かりが差し込んでいた。はやての部屋のカーテンは自動で開閉する。だから普段ならしっかりと閉じられているのだが、今日に限っては調子が悪いのか、途中で機械が止まってしまったようだ。
メンテナンスとかしとらんかったもんなぁ。曖昧な意識の中ではやてはぼんやりと考えた。考えて、目を閉じて、もう一度夢の世界に旅立とうとした。
しかし、一度中途半端に目を覚ましてしまうと、意外と寝付けないものである。そうなると、どう言う訳か普段は気にならないような音が気になってしかたなくなってしまう。空調の音、布擦れの音、外で吹く風の音、誰かの呻き声……。
呻き声?
いつもと何か違うぞ、と脳内で軽くアラートが鳴り始める。
他の音はいい。よく聞く音だから今聞こえてもおかしくはない。しかし、基本一人で過ごしているはやては呻き声を聞くようなことは滅多にない。
そしてはやては呻き声など出していない。だとすれば、声の主は泊まりに来た友達以外にありえなかった。
慌ててベッドの縁まで身体を引き摺り、下を覗く。
床の上の布団の中で、まだ肌寒い時期だというのに大量の汗をかいた小鳥遊悠里が、目を閉じたまま苦悶の表情を浮かべて緩くのたうち回っていた。
「……ごめんなさい……ごめん…なさい……」
喘ぎながら、誰に対してなのかうわ言のように謝罪を繰り返す。
友達が苦しむ様を見てしばし呆然としたはやてだったが、意識を取り戻すと、ひとまず名前を呼び掛けた。
「悠里、悠里?」
返事はない。変わらず苦し気に吐息を吐くだけで、呼び声には応えなかった。
「一体どないしたら……」
体調が悪いのか。悪夢にうなされているのか。無理やり起こしてしまってもいいのか。そっとしておいた方がいいのか。専門的な知識など持っているはずもないはやてには判断ができなかった。
「……」
悠里が「ごめんなさい」以外の言葉を発したような気がしたが、声が小さすぎて聞き取ることができなかった。
友達を助ける手掛かりになるかもしれない。意を決して、はやてはベッドから転げ落ちるようにして悠里の布団に入った。
そして、悠里の涙声交じりの寝言を聞いたはやては横殴りされたようなショックを受けた。
「……行かないで、お母さん……叩かないで、お父さん……」
もしかして悠里、親御さんに虐待されとったんか?
はやてはこの時初めて、しっかり者だと思っていた悠里の弱さを見た気がした。
初対面の時に見た包帯だらけの姿、病院で受けていたという心理カウンセリング、記憶喪失、児童養護施設。これらの情報が、はやてに悠里の事情の一端を推測させた。
はやては同年代に比べて知識や洞察力の面で少しだけ秀でている。それは読書好きでよく図書館に通っているからだとか、学校に行っていないことを勉強ができない言い訳にしたくないという自制心があったからだとか、色々な理由があったためだが、ともかくこの世には実の子どもに対して暴力を振るう親がいること、人間は強いストレスがかかると記憶を封印して心を守ろうとすることがあると聞いたことがあった。
親からの理不尽な暴力の末に、記憶を失い、施設に引き取られていたのだとしたら。
これはあくまではやての推測でしかなく、本人から直接聞いたわけでもないので、実際のところはわからない。はやての思い過ごし、たまたま悠里が現実とは違う悪夢を見ている可能性だってある。
けれど、目の前で友達が苦しんでいることだけは紛れもない事実だった。
思わず、はやては眠る悠里を抱きしめていた。今は朧げにしか覚えていない、亡き母親に抱きしめられていた記憶を参考にして。少しでも、悠里の気持ちが落ち着くように。
「わたしはどこにも行かへん。悠里のお母さんやお父さんの代わりにはなれんけど……。だから、怖がることないんよ……」
悠里の頭を胸に抱きかかえる。はやての想いが伝わったのか、激しかった呼吸が穏やかになり、静かな寝息へと変わっていった。
悠里は自分のことを知ってほしいと言っていた。もしはやての心配が事実だったとしたら、いつか悠里自身が本当のことを話してくれると信じた。
ま、ただの思い過ごしやったらいいんやけどな。
心の中で肩をすくめて、目を閉じる。
悠里のペンダントが淡い光を放っていることに気が付かないまま、今度こそはやては夢の世界に旅立っていった。
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悠里「なんかすごい重要なイベントがあった気がするんだけど……。思い出せねぇ」